風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(4年目その103)

『不正によって恩恵に与った者が加害者なのかといえば、そうとも限らない』


 振り向かないことさっ!(挨拶)


 あついあついあついあついあついあついあついあついあついあついあついあついあついあついあついあついあついあついあついあついあついあついあついあつあつあつあつあつあつあつあつあつあつあつあつあつあつあつあつあつあつあつあつ――――夏。晴天の32℃くらい。でもまだエアコンは使っていない。
 ここしばらく大分県の教職員採用試験における不正問題が各メディアで報道されている。以前に書いたことだが、こういった不正はどちらかというと田舎の方が起こりやすい。少数の、しかも限られた環境内から選出された人員で組織が構成されているため、全員が黙ってしまえばなかなか不正が露見せず、場合によってはそれが当たり前だという認識に陥りやすいからだ。各地の人間が集まる都会ではそういった状態にはなり辛い(まったくならないわけではないが)。
 この場合、不正によって得をしたのは誰かといえば、まず試験に合格し教員として採用された人間だ。しかし一般的に考えて、彼ら受験者が自分で不正を持ちかけたのかといえばそうではないだろう。彼らの周囲の人々が、有力者や県教委にコネクションを持った人間に口利きを依頼したと考えるのが妥当だ。もちろん受験者がそういった権力を持った人(恩師とか)に直接口利きを頼んだ場合もあるだろうが、全員がそうであるとは考えづらい。この件に関する街頭インタビューで、(そんな先生に教わる)子供たちが一番の被害者だ、という意見があったが、どこか感情的でとにかく子供が可哀想だと言いたいだけに見えた。論理的に言って、不正が原因で不合格となった受験者が一番の被害者であることは疑いようもないし、また不正によって合格した人も場合によっては被害者かもしれない。どちらにせよあまり子供は関係ないだろう。


 親類や知り合い含め何人か教職に就いているが、それほど優秀な人間とは思えないし、さして面白い発想もしない(というかプライベートでも普通のことしか言わない)。この程度なら大抵の人は教職に就けると思うのだが、教職員採用試験とは、いったい何を試しているのだろう。昔からの多大な疑問のひとつだ。