風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(4年目その96)

『ある種の適当さは豊かさの証明だ』


 無念なり〜。(挨拶)


 昨日に続いて真夏日となり、とても暑い。夜もなかなか気温が下がらず、熱帯夜寸前。深夜にはどうにか落ち着いたので、就寝するにあたって支障がなかったことが幸い。
 何日か前の話だが、イタリアかどこかの文化的施設に落書きをした日本の大学生が停学処分になったという話を聞いた。この国ではそのくらいの処分は当たり前だと受け取られているようだが、その話を聞いた当のイタリアでは、落書きくらいで何でそこまで?、という声もあるらしい(あくまでも一部だと思うけど)。
 こういった評価基準の違いはどこから生まれているのだろう。
 以前に造形物の素材に関する文化の違いについて書いたが、確かに主に紙や木でできているこの国の建築物にインクで落書きをしてしまうと、それを消そうとすると損傷が大きくなってしまう。一方、石ならば紙や木に比べれば、損傷はわずかで済むだろう(石の種類にもよるが)。


 単に日本人が異常なまでに潔癖であるとも考えられる。日本の観光施設に行くと不思議なくらい清浄さが保たれている。これは落書きなどがされていないのではなく、逐一消しているからだ。逆に海外に行くと、よほど有名か、あるいは神聖な場所でもない限り、必ず落書きくらいは発見できる。