風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(4年目その93)

『多くのレジャーは“そんな気がするだけ”という精神状態に支えられている』


 さぁ、お遊びはここまでだ。(挨拶)


 晴れて気温も上昇し、蒸し暑い。しかし夜には速やかに下降。まだエアコンは点けていない。
 連休を取ると、どこに行くの、とか外出することを前提とした質問をする人が多い。とても多い。非常に多い。とにかく多くて、まるでそうしなければ何かペナルティでも科せられるかのような勢いだ。おそらくは外出することこそが健全で有益な休日の過ごし方であるという考えなのだろう。そう信じることは構わないし、本人がどのように行動しようと好きにすればよいと思うが、この現代において(しかもいい歳した大人が)他人も自分と同じだという発想を抱き続けているのはどうかと思う。その点において、よほど子供の方がまともな応対をする。
 旅行の広告やキャンプ場などの売り文句で、自然に親しもう、とか、自然と一体となろう、とかそういう類のものが見られるが、もちろん実際にはそんなことができるはずもない。人間にとって自然は敵でしかない。とても親しめるようなものではないし、仮に一体となったら、あっという間に肉食獣に喰われておしまいである(そもそもそれ以前に水道とトイレがないだけで99%以上の人間がアウトだろう)。あくまでも“自然に親しんだような気がする”ことを楽しむのが趣旨なのだ。


 同じようなことがスポーツ観戦にも言える。あれは自己投影による“試合に参加しているような錯覚”を楽しむ行為だ。観光も同様で、そこにある舞台設定に入り込んだような気分を楽しんでいるに過ぎない。