風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(4年目その90)

『夢や希望とは良くも悪くも、凄くもない』


 失礼な! 我々はカバではない!(挨拶@ムーミン


 朝からずっと雨。気温は少し下がったが、湿度は相変わらず。昨晩遅くまで飲んでいた上に、早朝に起床しなくてはならなかった(25時就寝/4時起床)ため、数年ぶりに二日酔い状態で出かけることになった。――――ま、2時間くらいで平常状態になったけど。
 夢や希望はありますか、という質問に対して明確な答えを返すと、それはいいですね、素晴らしい、凄いね、羨ましいよ、といった感想をする人が結構多い。風鈴製作者自身もそういう人をたくさん目にしてきたし、実際に何度も言われたりした。
 しかし夢や希望とは、それだけでは何の価値も意義もない。そうしたいからそうするつもりだ、という個人の願望に過ぎず、仮にその影響が他者に及ぶ場合、そうすることにより迷惑すらかかる。にも関わらず、夢や希望を持っていること自体を高評価する風潮があるのは、やはりそれが生きる原動力であるかのような幻想があるからだろう。そうやって生きていけば素敵で幸せな未来があるのだという、ある種の楽観主義がそうさせるのだと思う。


 これと同じようなことが“生き方”というものに対する評価に関しても言える。自分の主義や信念を貫いて生きた(生きている)ということ自体は、特に良くも悪くもない。そうしたいからそうしているだけだろう。あえて生き方というものに評価を下すとすれば、自分の理想とする生き方を貫くというのは尊いのである。