風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(4年目その87)

『公共のためだ、という理屈が証明されたことはないし、今後も証明されることもない』


 大事な用を思い出したんだ。(挨拶@現実には誰も信じない言い訳)


 朝方から降り始め、昼過ぎにはだいたい上げるものの、しばらくはわずかに降り続いた。気温は低く、20℃くらい。出歩くには上着が一枚必要だった。
 休暇だったので、秋葉原でPCパーツの物色をしたり、前回買い物に来たときに買い逃した本を購入したりしていたのだが、とらのあなの脇道が何やら物々しい雰囲気だった。何が起こったかは帰宅後に詳しく知ったが、実際の事件現場の様子は実におかしな状態だった。
 事件は職質をした青年がナイフを持っており、連行しようとしたところを抵抗し、警官が怪我をしたらしいのだが、風鈴製作者が見たときにはどうやら職質現場からパトカーが停めてあった場所までの詳しい位置関係を測量しているようだった。事件発生からしばらく経っており、当然、マスコミが取材に来ていたのだが、それが通行の邪魔でしょうがない。警官は一般の通行者に立ち止まらないように指示していたが、実際に立ち止まっている通行人はほとんどおらず、歩道の真ん中を占拠しているのは業務用カメラを構えてたむろしている人々なのである。しかもその集団が、測量を行っている警官が移動するたびに、団子状態で後をついていく。彼らは仕事をしているだけだと言うかもしれないし、おそらくは取材許可も取っているのだろう。しかしその行動が公共への迷惑行為であることに変わりはない。それともマスコミの取材とは、警察の捜査と同等に優先されて行われるべきものだとされているのだろうか?


 マスコミュニケーションを純粋な商売として捉える場合、注目を集めていること、人、場所を盛大に取り上げるのは正しい。しかしそれが公正な報道に反することもまた事実だ。