風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(4年目その76)

『踊る阿呆に観る阿呆。しかしこの場合、踊ることも観ることも損にしかならない』


 ああ、美神と横島って、ブルマとベジータだったのか。(挨拶)


 晴れ時々曇り。昨日よりも少し涼しい。この調子だと梅雨入り時期は訂正されそう。
 秋葉原の事件以来、ネット上の犯行予告による逮捕・補導者の報道が後を絶たない。もっとも実際に犯行予告の総数が増えているかどうかは分からないが、ただ事件が自発的な通報者もまた増えているだろうから、確かに捕まる数は一時的に増えているのかもしれない。
 ネット上に書き込まれた犯行予告を検知するプログラムを開発するとかいう話が出ているが、まったく一時凌ぎ的というか、よく分かっていない人を安心・納得させるための措置の域を出ない対処法だ。ネット上に犯罪を匂わす(あるいは犯罪そのものの)行為をしたり、いまだに安易に自分のプロフィールを公開したりするのは、明らかにネット上が公の場ではない匿名性の高い空間だと勘違いしているからだ。もちろんそんなわけはなく、公的権力が一定の手続きをすれば誰が書き込んだものかなどすぐに判明するし、また別に公的権力が関係しなくとも、どこの誰が見ているかもしれない公の場所で自分の周辺環境などを晒すものは危険だ。悪意を持った人間はどこにでもいる。
 そういった危険な行為に及んでしまう原因はやはりネットに関するまともな教育が施されていないからだ。そもそも以前は匿名性が高いなどということはまったく口にされず、どちらかというと他人への配慮やマナーを第一に教えていたものだが、ネットワークというものが世間一般に広く浸透するにつれて、その利便性や使用方ばかりが教えられるようになったように感じる。社会的な常識と同様に、小学校低学年、あるいは幼稚園くらいからそういうことを教え込んでおくことがネットワークの平和を保つ解決策だろう。


 ネット上に限らず、安易な行動に出る理由がもうひとつある。基本的に他人を信じ過ぎているということだ。出会い系サイトなどの利用者が犯罪に巻き込まれるケースがあるようだが、原因の一端はそういうことだろう。無根拠に人を信じることは自己のセキュリティを低くしていることに他ならない。