風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(4年目その72)

『心を攻めるが上策。城を攻めるは下策ではあるが、相手にとってはどちらも苦痛でしかないことに違いはない』


 目からビームなんて出ません…。(挨拶)


 晴れ時々曇り。日中は昨日と同じくらいだったが、夜はかなり涼しくなった。
 争いごとにおいて、物理的攻撃手段に出るのは下策である。多くの場合、他の方法に比べ圧倒的に不利益だからだ。これは対費用の観点からも対人関係の観点からも明らかだ。
 心を攻めるのが上策であるというのは古来言われ続けてきたことであり、現代に至るまで多くの場面で重要視されてきた概念だ。人類の歴史は戦争の歴史だ、なんていう人もいるけれど、自らの疲弊を知りつつ率先して戦争をしていた国などそうそうない。ただし“心を攻める”というのが必ずしも暴力的手段ではないかと言うと、そうでもない。いわゆる兵糧攻め(現代的に表現すれば経済封鎖がこれに当たるか)は敵を飢えさせて餓死させることが目的ではない。飢えさせて戦意を失わせたり、あるいは敵方の裏切りを誘発させるための戦法なのである。他に例を挙げると、直接城攻めはしなくとも大量の戦力を背景に戦意喪失を促すことも“心を攻める”ことに該当するだろう。豊臣秀吉の小田原北条攻めが代表例だ。


 城を攻めるにしろ、心を攻めるにしろ、敵方にとっては大きな苦痛だ。そういう状況の中で重要なのは最小の痛みで相手を屈服させるかであり、恨みを残さないかだ。最上は、当事者に屈服していることを自覚させないことだろう。