風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(4年目その68)

『働けど働けど、とは言うけれど、それは利益にならないことばかりしているからでは?』


 うん、それ無理っ。(挨拶)


 昨日と同じか、さらに少し蒸した感じ。曇り時々晴れ。
 格差社会とかワーキングプアとか、とかく貧困層の存在を示し、社会の問題として煽り立てようとする論調が多い。別にそういった見解を肯定する気も否定する気もないが、しかし話の前提として貧困層の人々自身には何の落ち度もなく、懸命に頑張っているいう条件がある。そうでなければ“社会”の問題として成り立たないからだ。
 だが本当にそうだろうか? 最近は団塊世代の集団退職の時期ということもあり、そうでもなくなったようだが、以前は新卒の就職難という問題が頻繁に取り上げられていた。しかしそれは必ずしも企業側の雇用縮小だけが原因ではなかったと思う。少なくとも風鈴製作者の周囲では就職活動を真面目かつ効率的に行っていない人間が、雇用試験に落ちるべくして落ちていたように思う。そういった自業を無視して文句を口にするのはどうかと思う。
 ただしこれは積極的に就活を行っていれば内定を貰えたはずだ、という意味ではない。重要なのは如何にすれば内定を貰えるかを考えて、それを取捨選択し無駄な行為を排除したか、ということだ。どんなにそれに時間を割いていたとしても、役に立たない情報や実利を成し得ない行動をしていては無駄に無駄を積み重ねるだけだ。


 格差とかワーキングプアというような問題が問題として存在するのも、多くはこれと同じことだと思う。全てがそうだとは思わないが、貧困である自身の状況をしっかり把握すれば、大抵の場合、そこから脱する方法はあるだろう。――――しかし最大の難点は、その方法を選択し、新たな一歩を踏み出せる勇気があるかどうかということか。