風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(4年目その67)

『編集が作家に嫉妬する? だったら編集自身が作家になればいいだけのこと』


 怒られないと動かない、怒鳴られないと解らない、とはよく耳にする言葉。(挨拶)


 晴れ時々曇り。湿度も高く、気温も25℃以上。夕方以降はそれなりに涼しくなったが、いよいよ湿っぽい季節が到来した感じ。
 『金色のガッシュ!!』の原作者・雷句誠氏が、小学館がカラー原稿を紛失したことに対して訴訟を起こした。ニュース報道はコチラで。ついでに作者のブログに訴えに至るまでの経緯及び訴状と陳述書が掲載されているので参考に(ただし陳述書の内容に憶測と言える部分もあるので注意)。まあ出版社が所有者である作家から貸与されている原稿(※原稿は出版社のものではない)を紛失することなど言語道断なので、裁判自体の結果は分かりきっているが、そもそも雷句氏の目的はそんなことではないだろう。
 出版社、あるいはそこに所属する編集が原稿を無くしたり、作品の質の向上とは無関係な部分に介入したり、あるいはつまらないミスを繰り返したりといった話は非常に頻繁に耳にする話だ。これは漫画だけに留まらず、出版業界全体に言えることである。あくまでも私見だが、漫画編集の役割とは漫画家の個性を全面に出しつつも、描写及び展開の構成上ありえない箇所や一般には到底受け入れられないであろう流れを論理的に指摘し、それに対する的確な代替案を共に考え、場合によっては資料を提供し、執筆活動を速やかに行えるように(他者ができる範囲内で)環境を整えることだ。もちろん原稿を落としそうな作家に対しては叱咤することもするだろうが、それは仕事の〆切りを守れない取引相手に対する当然の行為であって、本質的に編集のするべきことではない。編集の仕事とは取引相手に漫画を『描いてもらう』ことであって、『描かせる』ことではない。作家は奴隷ではないのだから。


 もちろん漫画家側も〆切りを守り、その範囲内で全力を尽くして作品を仕上げることは、社会人として契約者に対する当然の礼儀であり責任ある行為である。作家と出版社は対等であるべきだし、編集は仕事人として責任と誠意ある態度で接するのが当然だ。そして作家はそれに応えるのが筋であろう。