風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(4年目その64)

『誰が悪いかということと、誰が問題を解決するかは別の問題だ。組織が大きければ大きいほどにその傾向は強まる』


 『NARUTO』じゃなくて『SASUKE』だよね。(挨拶)


 雨。気温は低く、限りなくフラット。2℃くらいしか変動していないと思われる。
 大阪府では橋本知事が就任以来、財政再建のため、数々の削減策を打ち出している。個人的にはまあ妥当な政策だなと思うし、それをマスコミを通じて内外に公にする手法も、繰り返し危機的状況を訴えることで世論から支持を得るという点で一定の効果を望めるだろう(やり方のあざとさは別の問題だ)。
 しかし就任以来、そういった方針に府職員からは反発の声が絶えない。その中でも目立つのが、何で私たちの給料が減らされなければならないのか、私たちは悪いことはしてない、というものだ。


――――では他の誰が悪いというのだろうか?


 確かに数々の無駄な事業にはそれぞれに計画発起人や責任者がいたことだろう。そういった人たちが責任を問われるのは当然だが、しかしその人たちの能力や財力で財政が再建できるのかと言えば、そんなことは不可能だ。元々、大阪府という巨大な組織が保有していた資金を運用した結果に発生した負債を個人で返済できるはずがない。府としての負債を返済するのは府に他ならない。ならばその組織に属する人間が負担の一部を担うのは当然だろう。それがイヤならば辞めればいいし、何もしないでいれば大阪府が財政再生団体に転落するだけ。そうなれば問答無用で辞めるか、給与カットが行われる。それだけのことだ(ちなみに先月末に岡山県現状のまま推移すると2011年には財政再生団体に転落するとの見解を示した)。


 もちろん事の影響は府職員だけはなく、大阪府府民にも及び、いくらかの不便を強いられるだろう。当然、不満はあるだろうが、しかし負債を生み出すような事業を認可した府知事や県議員を選んだのは紛れもない府民である。相応の負担を負うのは妥当だろう。それが民主主義の真っ当なあり方ではあるまいか。