風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(4年目その58)

『どんな異常な手口も、殺人という行為そのものの不可思議さほどではない』


 忘れ去られそうなものシリーズ4。ゲームウォッチ。(挨拶)


 それなりに晴れていたが、湿度は低くてとても涼しい。どうも寒気が入り込んでいるようで、明日は雨らしい。
 江東区のマンションに住む女性が失踪した事件で、二軒隣の部屋に住む男が容疑者として捕まったらしい。事件自体には興味がないのだが、どうやら女性を殺害後、遺体を細切れにしてトイレに流すなどして捜索を逃れていたとか。ネットでの無数の報道を見る限りでは、またテレビではセンセーショナルさを押し出して、異常だ、異常だ、と煽っていることだろう。
 誤解を恐れずあえて書くが、この事件の場合、警察の捜査を逃れつつ死体を隠蔽する方法としてはまあまあ合理的だと言える。女性がマンション外部へ出ていないと仮定しマンションの各部屋を捜索しているという状況において、死体をそのまま運び出すことは難しいだろうし、仮に運び出すことができたとしても、その行動はかなり目立つ。よって室内から誰の目にも触れずに死体を処理するには下水に流してしまう以外には無い(他にも方法はなくもないが、室内捜索までの時間的制限を考えると難しい)。
 別に容疑者の行動が正当だと言っているのではなく、少なくとも異常ではないと言っているだけだ。“殺人を犯した後”の行動としてはそれなりに合理的なのは間違いない。そこそこの冷静さと行動力(警察から逃れたいという意志力と言い換えてもよい)が窺える。
 少し考えれば判ることなのだが、異常なのは殺害方法や死体の扱いではなく、殺人という行為そのものだ。平常な精神状態で考えれば個人にとってあれほどに不利益をもたらす行為は無い。マスコミが警察の不手際や不祥事ばかり報道したり、物語で頭の悪い警察官ばかりが登場する弊害なのかもしれないが、この国の警察の組織力を背景にした捜査能力は並ではないし、科学捜査には素人の隠蔽工作などけして通じない(通じたとすればそれは人為的ミスだ)
。周囲に発生を認識されるような犯罪行為をして捕まらないことなど稀である。


 社会にとって殺人という行為こそが問題のはずである。その手口の物珍しさや奇抜さを論じることは、結局、事件を面白がっているのと何一つ変わらない。