風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(4年目その56)

『待ち合わせに遅れてもいい相手って、つまり奴隷ってこと?』


 忘れ去られそうなものシリーズ2。\60の板ガム。(挨拶)


 晴れて気温も上昇したようだが、しかし湿度が低いようで暑くは感じない。掃除・洗濯をするには良い日だった。
 今日、待ち合わせの遅刻に関する話している場面に出くわしたのだが、話の趣旨として、親しい間柄ならば多少の遅刻は許されるという内容であり、待ち合わせに遅刻しても問題ない関係の存在について言及していた(言及していた、というほどのものでもないけど)。
 別にその人たちが遅刻に関してどう考えていようと自由だが、風鈴製作者としてはそもそも遅刻をしてよい相手というのが想定できない。ありえない、と言い換えてもいいだろう。どんな親しい間柄でも遅刻は全力で避けるべきだし、そうしないのは相手に失礼だろう。もちろん自分が待たされたときに、多少の遅れであれば思いやりと自分が遅刻したときの保険という意味で相手を許すべきだとは思う。しかし遅れる側が許されるべきだとか遅れても問題ないという発想を持つのは明らかに自分の身勝手な行動を相手に押し付けるものだし、思いやりや配慮に欠けるのは言うまでもない。個人的に相手が誰であろうと遅刻はしない。これは相手を尊重するということもあるが、自分自身の人間的美徳を守るためでもある。


 ちなみに自分が待たされる立場の場合、30〜60分くらいは待つ(用件や状況によって可変する)ことにしているが、同じ人間に平均して3〜4回遅刻された場合、見限って離れることにしている。もちろん特に告知はしない。遅刻とはその程度には失礼な行為だろうし、何より自己管理ができていない証拠でもあるから、人間的に信用できない。