風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(4年目その55)

『死ねば罪はなかったことになる。では人間辞めたら罪を背負わなくて済むということか否か』


 そろそろプルタブ式のプルトップが忘れ去られる、そんな時代。(挨拶)


 曇り時々晴れ。朝方は昨日からの雨が少し降り続いていたが、傘も必要のない程度。気温はやや控えめ。
 裁判において審理途中で被疑者が死亡した場合、当然、その罪は問われることはない。同様に加害時に社会的能力を著しく欠いていた場合、やはり罪には問われない場合がある。では、これは以前から気になっていたことなのだが、被疑者が記憶を喪失するなどして、以前とはまったく異なる人格を有してしまった場合、罪に問えるのだろうか?
 法律が専門の知人に聞いてみたのだが、立件されるかどうかは事件を担当している部署の判断によるだろうが、それが立件後の場合はおそらく審理が停止されると思う、とのこと。つまり知人の知る限りではそういう前例が無いようだ。思うに、このことで問題となるのは罪を犯したのはその人間の肉体なのか、それとも人格なのか、ということであろう。しかし心身耗弱など精神面が理由で罪が免除されることがある以上、やはり罪を問われているのは人格であることは間違いない。そして人格とは生物学的に、記憶(経験)と思考によって生み出される外部からの刺激に対する反応、と定義できる。これが罪を犯した時点とまったく異なっている場合、極端に言えば、その人間はすでにまったくの別人であり、被疑者死亡と同格に扱わなくてはならないのではあるまいか。


 “死亡”と“人格変容”で異なるのは不可逆かどうかだ。仮に記憶喪失によって人格が変わってしまった場合、記憶を回復して元の人格に戻る可能性がある。その点がさらにこの問いを複雑にする。ケースバイケースと言えばそれまでだが、安易に判断はできそうにない。