風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(4年目その32)

『どんなことでも最初が肝心。でも“最初”って何だ?』


 特技はイオナズンです。いいんですか? イオナズン、唱えますよ?(挨拶@帰れ)


 今日も暖かいが昨日ほどではない(暖かいという表現でそれを表してみた。…失敗?)。どうやら体調不良はこのまま快方に向かいそうだ。体調不良とは言っているがそもそも体調自体は悪くない。ただ発作的に咳が出て、喉を痛めていただけだ。しかし世間ではそれを風邪というらしい。…風邪とは何かの総称なのか?
 スタートダッシュとでもいうのか、初めに多くの財を投入したり、全力を出すことによって弾みをつけることが良いとされている風潮は昔からある。進学や就職などに伴う新たな人間関係の構築などにもこの理屈は用いられ、実際にサークルや部活などは春の内に決めないと途中では入りづらい雰囲気があるし(新歓期以外入会お断りとかザラである)、友人関係も早期にいくつかのグループに分かれてしまい、それらに属さない人間は少し浮いた感じになることも多い。本当はそんなのはいつ始めて辞めて、出会って別れても自由なはずだが、そういう風潮があるのは事実だ。
 だが、ここで疑問がある。そもそも“最初”とはいつのことなのだ。例えば何らかのプロジェクトが発足されたとしよう。そのプロジェクトの最初とはいつなのだろう。プロジェクトが実行に移されたときなのか、それとも計画に関わる人間が集まった瞬間からなのか、はたまた企画立案者が企画書を提出したときなのか、どっこいそれを思いついたときなのか。個人的には、そもそも“最初”なんて存在しないものだと考えている。物事の全ては連続していることで、何かが起こることはそこに至るまでのプロセスに存在する因子によって定められているし、それら因子もさらに無数の因子によって生み出されている。その中で“最初”をどこに定めるかなどできようはずもない。


 事前に予想して対処しておくことは重要だ。全てを見通すことが不可能である以上、常に近未来を見据え流動し続けるのがベターだろう。故に区切りである“最初”を定めることにあまり意味はない。もっとも、集団を動かすための方便としては有効かもしれないが。