風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(4年目その23)

『古参の人間を切り捨てるのは必ずしも間違いではない』


 唐突に番外編に入るTVA『BLEACH』。ここまで開き直られるといっそ清々しい。(挨拶)


 曇り時々晴れ。暑い。秋葉原コトブキヤドラゴンクエストクリスタルモンスターズ6が売っていた(多分、早売り)ので、2個摘んでみた。結果はダックスビルとメイジドラキー。小冊子を見て、バラモスは当然ながら、さまようよろい系も含有率が低そうだなと推測(ところで何でタホドラキーが無いのだ?)。
 どんな分野でも新規客をまったく呼び込めないようでは商売が成り立たない。長く続いているものであればあるほどにその必要性が大きく、時には旧来の顧客をある程度切り捨ててでも新規顧客の獲得に努めなくてはならない。
 例えば少年漫画のように当の昔に市場が飽和している場合、新規に大量の読者を獲得するのは難しい。そういう場合、大きな路線変更も止むを得ないわけで、当然そうなってくると昔からの作風が好みの読者からは倦厭され、その内のいくらかは離れていくだろう。しかし少年漫画の場合、読者がある程度以上の年齢になれば自然と離れていくは折り込み済みだ。そのタイミングを見て路線変更を図り、それまでターゲットではなかった層から多くの読者を取り込むことができれば重畳だろう。この点でここ10年の週刊少年ジャンプは実に上手くやったと評価できる(何のことか解らない人はお近くの漫画大好き人間に聞いて見ると良い)。


 これは何も消費する側だけではなく、生産する側にも言えることだ。一般に、人間は古い感性と新しい感性を同時に持つことは難しい。どうしても古さと新しさが混ざり合って、互いに足を引っ張ってしまう場合が多い。その度合いが過ぎ、マイナス要素が大きい人は、やはり切り捨てられる運命にある。