風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(4年目その21)

『財が充分でない限り、暴力は必要とされる』


 撒き餌たっぷり群がるさっかな♪(挨拶)


 今日は晴天、暖かい。やや湿度も高めなようで、少し不快。桜に続き、銀杏も葉を茂らせ始めた。同じ地域でも立地によって生育に大きな違いがあるのが面白い。
 去年の12月に暴力の放棄は200年は早いと書いた。その意図が↑である。これも以前から書いているが、原則として人間は(というか生物は)物質的に満たされていると穏やかになる。つまりは充分な財に満たされていれば平和的になるわけだ(本質的には逆で、足りない分を他者から奪い取る攻撃性を宿すために凶暴化するのだが)。
 しかし現状では世界の全てを満たすだけの財はこの地球上に存在しない。エネルギーも食料もまったく不足している。一部先進国の国民をほどほどに満たしていていようとも、発展途上国の多くは貧困層が多数存在し、彼らは充分な財を持つ先進国を羨む。そういった感情がある限り、先進国とて争いごとに巻き込まれずにはいられない。そういった状況に対処するために警察や軍隊といった(組織的)暴力が必要なのである。


 無論、財が満たされることは平和の一条件であって、それが全てではない。しかし現状での最大の問題点は間違いなく財(主にエネルギー)の不足だ。それが解決しないことには平和など決して訪れないし、そうである限り、暴力は必要とされる。