風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(4年目その17)

『価値の高低が厳密さを決める』


 早く死になさい、この短小包茎。(挨拶@時を止める一言3)


 朝は小雨だったが、すぐに本降りに。今日はやや涼し一日だった。
 スーパーなどで生鮮食品売り場に行くと、野菜の値段に不可解な部分を見つけることができる。個数単位で値がつけられている物と、重さ(主にグラム)単位で値がつけられている物があるのである。前者はキャベツやレタス、にんじんなど比較的大き目の種類のものが多く、後者はひとつ当たりが小さなものやあるいはとても高価なもの(松茸など)が多いように見受けられる。
 しかし大きかろうが小さかろうが、当然、個体差があるわけで、それぞれの大きさ(重さ)は異なる。同じ1個であるとして同じ値で売られているにも拘らずその総量が違うのは不公平以外の何者でもないのだが、意外なことにこのことに不満を抱いている人は多くないようだ。
 おそらく個数単位で値がつけられている物は一般に安価なものが多いからだと思われる。それ故に多少の差は気にならないのだろう。しかし逆に言うならばそのものの価値(金銭、ないしはそのものに対する社会意識的価値)が高ければ微々たる差も気にせずにはいられなくなるということだ。


 ヨーロッパなどではほぼ全ての野菜は重さを量った上で、それに応じた代金を受け取るシステムが主流だと聞いたことがある。確かにこの国の場合、スーパーなどではいちいち重さを計量していられないという事情があるのかもしれないが、おそらくこの違いの原因はそれだけではないだろう。