風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(4年目その14)

『マスコミの標的になるのはいつだって中高年が知らないものだ』


 昔ドリフ、今ゲーム、みたいな。(挨拶)


 雨は朝まで降り続き、午前中は涼しい感じだったが、午後になり急に晴れ渡り、気温も上がった。
 何かしら異常性を認められる事件が起こると、何かというとマスコミは特定のモノにその原因を求めたがる。ここ10年は一部のゲームやアニメ、漫画などに見られる性描写や暴力描写を取り上げては根拠もなくバッシングする論調が主なものだが、いつの時代もこのような意味のない報道は繰り返され、その標的となるのはいつでも多くの中高年が知らない若年層の間で流行っているものばかりだ。
 マスコミとしてはスポンサーを敵に回すことはできず、それはつまりスポンサー企業の不利益になるようなことはできないということだ。多くのスポンサーは物品を売って商売をしている企業であり、物を購入して消費を行うのは主に収入の大きい中高年である。仮に中高年を不快にするような内容の放送をすれば、必然的に中高年はその番組を観なくなる。それは同時にCMを見てもらえなくなるということでもあり、結果的に、中高年にとって不快な内容を放送する → 中高年が番組(CM)を観なくなる → スポンサーに不利益となる、という構図が出来上がってしまう。そういう流れを作らないために、報道番組では犯罪の原因を中高年を中心とした文化には求めることはまずない。


 そもそも一個人の起こしている犯罪の原因を特定のモノに定め、一般化しようとすること自体、まったく無意味な行為なのだが、いまだにそういった報道が止む気配はないようだ。犯罪を起こす原因となる最大の問題点なんて決まっている。犯罪を起こす本人に問題があるのである。