風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(4年目その13)

『誰もが自分だけの偶像を欲している』


 パーラーメイドの姿格好は嫌いじゃないけど、気質はハウスメイドの方がいいかな。(挨拶)


 朝方までは雨が降っていたが、その後は厚い雲に覆われていたものの、本降りになることはなかったようだ。気温は急に下がり、日中でも11〜12℃くらいだった模様。昨日よりも10℃近く下がったということだ。…そんな寒かったかな?
 個人的にメイド喫茶には興味がないし、秋葉原駅前の呼び込みはウザいとすら思っているのだが、その手の店に足繁く通っている人の心理は少し面白い。
 おそらくアレは自らの中にある偶像的なものを投影しているのではないかと思う。昔はアイドルや俳優、歌手などにそういったものを投影していたのだが、個人で情報がいくらでも手に入る現在、芸能人の醜聞は溢れかえり、その伝達スピードも速い。そうなってくるとそういう虚構世界(TVなど)に演出された偶像は偶像足りえなくなってくるし、また元々それらは個々人の細かな理想像をカバーするものではない。個人主義の現在において、すでにそういうやり方で大勢の心を掴むのは難しくなっているのは間違いないだろう。
 その点で街(というか主に秋葉原)に溢れるメイドさんたちは接客業である以上、客のニーズには応えるものだし、同時に非常にマイナーでローカルな存在であるが故に私生活における問題が暴かれて幻滅させられる可能性は低い。さらには簡単に直接対話できるという点で、とても身近に感じられ、客からしてみれば占有感(とまではいかなくとも社会的に見ればかなり少数による独占感)が味わえるのだと想像できる。他人に拠り所を求めるタイプの人間にとっては、格好の偶像対象なのかもしれない。


 『初音ミク』もこれと似たような流れで流行ったと思う。業界に演出された押し付けの偶像よりも、自ら満足できる形にカスタマイズできる偶像の方が選ばれるのは必然であろう。メイドさん初音ミクの違いは“探す”か“創る”かの違いである。