風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(4年目その12)

『何が大事か。それが償う方法を決める』


 空の果てにあるモノは…。(挨拶)


 昨日同様、晴れて暖かい。気温は同じくらいだが、湿度は少し高目か。深夜になって雨が降り出したが、依然として暖かい。
 もう何度も裁判については書いているが、今日は死刑廃止論について少しだけ。
 前提として言うが、裁判とは特定の誰かのために行っているのではない。本質として加害者と被害者のどちらにも公平なものであり、その結果はあくまでも社会の規範とするためのものだ。
 死刑(最高刑)の代替案としてはやはり終身刑(もしくは人間の寿命以上の懲役刑)だろうが、両者の最大の違いは刑の執行完了までにかかる費用である。社会的に見た場合、一生涯を拘束されはするものの衣食住が満たされた生活と、一定期間の後、死をもって償うこと(この書き方はどうにも印象操作的だなぁ…)はどちらの方が償いとして上等かということを考えた場合、やはり基準となるのは一般的な生活水準だろう。
 仮にとても貧困でその日に食べるものもままならないような国において最高刑が終身刑の場合、自ら罪を犯して進んで服役する人間も多くなるだろう。逆に非常に裕福な国で、個人の自由というものがとても重視されている国ならば、死刑よりもむしろ終身刑の方が重罪と受け取られるのではあるまいか。詰まるところ、各国家の経済状況や主な思想によって左右されるべきものであって、他の国がそうしているからとかそういう問題ではないことは明らかだ。


 この問題は“命の尊厳”と“自由である権利”のどちらが重視されているかという判断に帰結すると思う。“命”の方が大事ならば死刑を、“自由”の方が大事なら終身刑を、それぞれ最高刑にすれば良い。原則、そういう判断をすれば大体の人は納得する。