風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(4年目その9)

『慣れるということが覚悟になることもある』


 …七姫様方、背が縮んだ?(挨拶@ていうか幼くなった?)


 朝はまだ時折強い風が吹いていたが、日中は穏やかに晴れて暖かい。ソメイヨシノは散り、桜は八重桜に移ろい始めたようだ。
 大病を患うと多くの人は弱気になる。治療費の問題もあるだろうが、その心を占める最も大きい要因は、再び健康になれるかどうか、であろう。そういった不安を解消するには2つの覚悟を決めなくてはならない。死に至る道を歩む覚悟と、死ぬことそのものへの覚悟だ。
 後者はもちろん、前者もそうそう経験できるようなことでもないので、どちらの覚悟を決めるのも難しいと思われるが、本当はそれほど難解なことでもないはずである。何故なら、元々全ての生き物は死に向かって歩み続けているのだ。それでも“死”というものを忌避するのは、人が自意識を持ち、なおかつ死生観という“死”と“生”の間に境界を引く概念を獲得してしまったからに過ぎない。その境界をさも高い壁のように捉え、“死”を遠い存在であると思い込んでいることが、いざ死に近づいたときに覚悟が決まらず、いつまでも恐れ続け惰弱なままでいる原因となっているのだ。


 別に死に怯え、あるいは諦めて余生を不幸(だと思い込みながら)に過ごすのも自由だ。しかしそれでは満足いく死に際は迎えられないのは自明のことだろう。