風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(4年目その2)

『環境に適応することは自然だが、そこから更なる適応をしなくなるのは異常以外の何者でもない』


 え?『Rewrite』ってエイプリルネタじゃないわけ?(挨拶)


 今日も晴れ。風が若干あったので外ではそうでもないが屋内や電車内は、上着を着ているとやや汗ばむ陽気だった。
 少し前に大人が大勢集まる場所で、幼い姉妹がいた。その姉は妹のことを気にかけ、しきりに面倒を見ている様に見えた。それを見た親や周囲の大人は、いい子だね、としきりに褒めちぎる。これだけならば世間的には良い話なのだろう。しかし風鈴製作者はある予想をもって観察し続け、その現場を押さえた。少女は大人が見ていない場所ではまったく妹の面倒など見ていない。
 別に風鈴製作者はそれを打算的だとかいやらしいとか非難する気はまったく無い。むしろそれが当然だと思うし、生物的に実に自然だ。子供は何をすれば周囲の大人に良い印象を与え、自分の利益になるか身につけているのである。しかしそのことに気付かずに手放しで誉めたり、ご褒美をあげたりする大人は多い。実に馬鹿である。そうすることに慣れてしまい、いつの間にやらそれが当然のことだと思い込んでいるのだろうし、同時に子供に奇妙な幻想を抱いているのだ。明らかに不自然で異常な状態と言えるだろう。


 しかし逆に言うと、大人の前で行儀良くすることが得をすることだと認識できないような環境で育った子供はとても無愛想、あるいは傍若無人な振る舞いをすることだろう。これは躾をされているかどうかではなく、“いい子”でいることが自分にとって利益にならないと判断してしまっているからである。