風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その359+365+347)

『人を巻き込むような自殺をする人間は、自殺に追い込んだ人間と同レベルであると言わざるを得ない』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 Dive to Blue。(挨拶)


 晴れ。良い天気。ほどほどに暖かい。
 自殺に関してはすでに何度か書いていて、個人的にはそれを選択するのは自由だと思っている。しかしその意思が無い無関係な人間を巻き込んでの行為は別だ。こういう街中での飛び降り自殺を代表格に、電車や自動車への飛び込み、あるいは周囲に破壊をもたらす様な自殺(ガスを利用して家屋ごと爆死など実際に存在する)は容認できるようなものではない。
 そういう非常に目立ち、周囲へ認識されやすい自殺法というは、命を代価にした一種の抗議行動だというのは理解できるし、その効果はそれなりにあるだろう。そして、自分が死んだ後のことなど知ったことではない、という心理が働くからこそ実行できるのだと思う。だがしかし、仮に自殺者が生前に不当な扱いを受けていたとしても、無関係な人間を理不尽に巻き込むことは、自殺者を冷遇していた人々(組織)とやっていることに大差はない。


 もっとも一般的にそんなことなどまったく気にかけないほどに追い詰められているからこそ、そういう身勝手な行為に及ぶのだろう。自殺を食い止める方法は何らかの方法で一度保護することらしいが、その根拠には平常の心理に回帰させ、現状を冷静に考えさせるということがあるのだろう。