風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その358+365+347)

『必然が偶然を凌駕することはない』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 ヒトデヒート。秋葉原でやれば効果絶大だろう。(挨拶)


 午前中は雨が降っていたが、正午前後には止んで、以後は曇天。気温は低く、薄暗い一日だった。
 どんな思考も作戦も戦法も、いつかどこかで誰かがすでに発想されたことに過ぎない。すでに存在しているということは、同時にその対処法も存在するということである。もちろんその対処法を回避・排除する方法も存在する。つまりすでに“在る”という時点でそれは負け続け、排除され続けるということだ。
 その連鎖を越えて、長く君臨するには一種の偶然によって生まれた要素が必要である。そのようなそれまでに存在したものの連続性から乖離したモノは、すぐには解析されることはなく、その弱点を見つけるにも時間がかかるからだ。


 もちろんこれは凡人における話だ。天才と呼ばれる人々は、以前から書いているような大きな飛躍を持って新たなモノを生み出していく。凡人がそれを真似るには偶然に助けられなくてはならない、という話である。