風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その355+365+347)

『プライドの強さは“人”であることの強固さである』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 『スカイ・クロラ』をシューティングにされてもなぁ…。(挨拶@しかも操作が操縦桿だけじゃ、…ねぇ?)


 雨は朝までわずかに降り続いていたが、すぐに止み天気は回復。気温はほどほどで過ごしやすい一日だった。
 命よりも大切なものとして語られるものの中にプライドがある。時に人はそれを守るために命すら投げ打つことがあるのは紛れもない現実であって、けして虚構の中だけの出来事ではない。もちろんそういうことができる人間はほとんどいないし、いたとしても多くの場合、異常者として扱われるだろう。
 反面、プライドとは人が人であることの証明だ。プライドとは人が自分自身の意志で定める、自然のルールとはまったく相容れない独自の定理であり、これはけして他の動物にはできない。何故なら、それが人が人であるが故の特性だからだ。
 しかし裕福であればあるほどにそういったプライドは生まれづらくなる。様々な出来事や娯楽が周囲に存在すると、何かしら特定のことにアイデンティティと求めるようになる可能性が低くなるからだ。逆に言うと、幼い頃から何かの面で限定された環境にいると、それに対して異常な執着を持つようになる。競技者の人々で、それに異常な執念を燃やしたり、一見すると偏屈な人間に見えたりするのはそういったことが原因であろう。


 だがそういう人々は誰よりも人間らしい。確かに彼らは生物としては異常かもしれないが、元より人間は生物としては異常で異端なモノである。