風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その353+365+347)

『放っておいてよ!』
『OK。でもどうなっても放置し続けるんで恨まないでね』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 あー、日銀総裁が不在になっちゃったよ…。(挨拶@米国の新聞で“チキンレース”とか書かれてたわけで、結果は両者とも自滅)


 今日はしばらくぶりにまとまった雨。気温もあまり上がらず平年並み。6年使っていた折り畳み傘の骨が1本折れた。さて、直して使うかどうか…。
 今日、たまたま中国人の留学生の方と話す機会があり、チベットのことやら餃子のことなどについて意見を交換した。基本的に彼女は日本のマスコミの報道姿勢を良くは思っていないようで、チベットのことも、中国の中の話なんだし放っておいて欲しい、と言っていた。まあ、餃子のことも含め、かなり決め付けた偏向報道をしていることには違いないので、当事国の国民がイラつくのはしょうがないのかなと思う。
 別に中国のチベット自治地区での扱いを支持しているわけでもなく、非暴力主義や人権主義、あるいは民族主義を背景に中国を一方的に非難している人々を支持しているわけでもない。本来、チベットのことは当事者たちが解決するべきであって、実際、チベット族の人々の多くが独立を望み、それに向けて活動しているからこそ現在まで独立闘争が続いているのだろうし、それを認めないからこそ中国もそれを彼らなりの手段で阻止しているというだけのことだ。結構なことである。
 ただ、昨日も少し書いたが、西側諸国では一般的に国家的な秘密主義や暴力的な弾圧は否定される。一方の中国はそういった手法が当たり前とまではいかずとも、比較的採用されやすい国である。この差異が両者の間に埋めがたい溝を作っているのだと考える。しかし別に溝があること自体は問題ではなく、両者のパワーバランスが重要なのである。これがどちらか一方に傾くと、結果としてどちらかがどちらかの言うことを聞かざるを得なくなる。一方的にどちらかの主義を受け入れることなど、混乱を生まないはずがない。将来的にそうならないためにも、もう少し柔軟に動いた方が良いのではなかろうか、という意味で昨日の文章は書いてある。


 もっとも中国側としては現状、譲る気はまったく無いのだろう。そのことは国防費の増大から容易に推察できる。つまり当面は西側諸国全てを相手にパワーバランスを保つ気なのであろう。