風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その347+365+347)

『安定するには重さが必要。それは人生も同じこと』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 でこでこでこり〜ん。(挨拶)


 晴れて穏やかな天気だったものの、やや風が強く、さほど暖かくはならなかった。
 物体が物理的に安定であるためには相応の重さが必要だ。重さが無い、または軽すぎる場合、わずかな風や少しばかりの傾斜があるだけでその場には留まれず、どこぞへと飛んでいってしまったり、あらぬ方向へと移動してしまう。人生においてもこれに似た傾向がある。守るべき物・人・主義、あるいは責任ある立場や羨望を向けられるような称号など、自分自身以外の何かと繋がりを持つような“重さ”が人を人の世界に留まらせている。
 しかし別に、人の世に留まることが必ずしも良い、ということではない。一般的にはそうすることが最も安全であるという理由から望ましいと思われるが、それは同時に何一つとして未知の存在しない世界にい続けることをも意味する。“重さ”とは同時に枷でもある。それを最小限に留め、遠くへと飛翔した人間だけが、新しい世界を見ることができるのである。


 ところでこれはあくまでも重力の存在する世界での話である。無重力下ではどんな重さを持っていようとも運動エネルギーが少しでも加わればどこへとでも飛んでいってしまう(そもそも飛ぶという表現にはなりえないが)。では人間に“重さ”を感じさせている“重力”とはなんだろうか。それを考えるのも悪くない。