風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その343+365+347)

『懐古するものには2種類ある。すでに失われてしまったものと、今あるモノよりも優れていたものだ』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 ねるねるねるねは…、ヒィッ、ヒッ、ヒッ。(挨拶)


 今日もよく晴れて暖かくなった。夜になってもあまり気温は下がらず、窓を開けていてもあまり寒くはない。昨日から何故か右口端だけが荒れている。麻酔の副作用だろうか。
 昔を懐かしみ、昔は良かった…、という趣旨の発言をする人間は、半ば揶揄の意味を込めて、若い人から懐古主義者と呼ばれる。なるほど、すでに失われてしまったものを持ち出されて“今”を否定されても、それを知らない若い人にとってはうっとしいことこの上ないだろう。
 ただし、それはあくまでも完全に失われたものを持ち出された場合だ。過去から現在に渡り存在し続けるもので、明らかに質が悪くなった、あるいは勢力が衰えたものに関しては、過去を礼賛しようとも揶揄される謂れはない。


 少し前に書いたように、漫画、ゲームに関しては昔ほど“作品”的ではなくなった。業界が大きくなったせいで明らかに独創性が無くなり、安全策ばかり採っている。これらは今でも容易に過去作を手に取ることができるので、確認してみるのもよいだろう。