風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その336+365+347)

『小さきモノはどこにでもいる』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 神話厨という言葉がありましてですね…。(挨拶)


 昨日までよりもやや気温は低かったようだが、それでも暖かい。晴れの日は続く。
 新潟のマクドナルドで販売したフィレオフィッシュから寄生虫(死骸)が出てきたという事故があったらしい。記事は新潟日報で。取り立てて大した問題でもないのだが、こういったことがあるたびにニュースになって取り上げられている辺り、やはり世間一般の認識としてはそうでもないのだろう。
 しかし魚などに寄生虫がいるのは当たり前である。一部の魚を捌いてみれば分かることが、それなりにお目にかかることができる。ほとんどの寄生虫は長時間冷凍するか、充分に火を通せば死滅し、死骸を食しても害はないのだが、やはり見た目の問題で拒絶反応を起こす人は多いようだ。
 野菜に虫がついていたり、形が悪かったりといった目に見える情報で印象を左右されるのは、まあ仕方がないとは言える。人間は視覚に頼り切っている生き物だからだ。しかしだからといってヒステリックになって、見た目の完璧さを求めることにあまり意味はない。そういったものが常に求められるのとすれば、それはもう食物ではなく、美術品の類に属するだろう。少なくとも一般的な食物は美術品ではないと考える。


 見た目ばかりに囚われることが、逆に衛生学上の知識を蔑ろにしているように思われる。いつまでもはしかなどの一部の伝染病を根絶できないのも、それが原因のひとつではあるまいか。