風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その332+365+347)

『人が創ったモノは人が壊す』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 問題なくキャンセル処理されました。(挨拶)


 昨晩からの雨は日の出前には止み、日中は曇り時々晴れ。気温はさほど上がらずやや寒かった。
 週刊少年サンデー編集部と週刊少年マガジン編集部が、両誌の創刊50周年を記念して共同で漫画誌を発刊するらしい。記事はコチラ
 まさか記事にある通り、『コナン』と『金田一』の過去作“だけ”で構成するわけではないだろうが、せっかく合同誌を作るのなら複数作家によるコラボレーションくらいは期待したいところ。あとはホラ……『勝手に絶望先生』とか?
 それはそれとして…、週刊少年誌は一時の隆盛時代を経て、現在、完全に低迷している。発行部数ではサンデーはついに100万部を割り込んでいる(実売数は不明だが)し、ジャンプやマガジンも最盛期の1/2にも満たない情勢だ。単純につまらなくなった、という意見もあるし、購買層の減少(正確には他メディアへの分散)などが原因のひとつにも挙げられる。
 風鈴製作者個人としても、現在の少年漫画が全般的につまらなくなったという感覚はある。しかしそれは新たな才能が生まれていないということではなく、漫画業界が隆盛を極めたことにより、過去作品の影響を受け過ぎて個人の才能、感性が発揮されていないということがあると思う。簡単に言ってしまうと、どこかで見たような作品が多くなっている。しかしそれは逆に言うと、作家個人の感性をフルに発揮しているような作品は、やはりいつの時代も目を引くということだ。もちろんいつまでも感性のみで書いていると、すぐに飽きられて一発屋で終わるのだが、その匙加減を行うのが編集の仕事のひとつである。しかし当の編集も過去の名作ばかりも基準に考えている人が多いようで、やはりどこかで見たような作品を書かせてしまう。こうして少年誌は急速に失墜したのだと考えている。


 どんなジャンルでもその地位が確立されてくると、どこかで見たようなモノが多くなる。ミステリーにおけるトリックが良い例だ。一度も書かれたことのないトリックなど最早存在し得ない。そういった緊縛にも似た膠着状態を打破するのは、いつの時代も人の感性であろう。