風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その327+365+347)

『練達の感性と初心者の感性が重なることなどありえない』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 ユッキーのために穴を掘りましょう〜♪(挨拶)


 晴れてまた一段と暖かく。日中は上着を脱いでも問題ないくらいで、夜も暖房が必要ないほど。この暖かさは明日も続くようだ。
 知人に、今面白い漫画は何か、と質問された。どういう意図の問いかけだったのかは知らないが、取りあえず風鈴製作者が漫画好きな人間だということを知っている人物なので、ただ会話を振っただけだったのかもしれない。
 ともあれその問いに対し、ジャンルは?、と問い返したところ、え? どれも漫画は漫画でしょ?、などとある意味でかなりの暴言を吐かれた。確かにそうだ、漫画はどれも漫画である。しかしこの発言は例えるなら酒好きの人に、日本酒も焼酎もワインもどれも酒は酒で同じものでしょ、と言うのと同じことだ。個々人によって程度の差はあれ、確実に顰蹙を買う類の発言である。
 前にも書いたが、どうも日本人にはそういう趣味的分野に対する理解というか許容度が極端に狭く、一般的な範疇から少しでも外れると、さも奇怪なものでも見たかのような反応をして、相手の気持ちを考えなくなる傾向がある。平気で(無自覚に)他人の趣味を踏みにじるのだ。そうしたければ好きにすればいい。自らの評価を落とすのも自由だ。
 ちなみに“面白い”という基準と相手が同世代だということ、またある程度はメジャーどころの方が良いだろうという判断から、ハチワンダイバー、と答えておいた。が、その知人は当然のようにそれを知らなかった(予想通り)。それどころか、最近まったく漫画雑誌読んでいない、と更なるイミフ発言をする始末。こうして人は周囲から冷ややかな目で見られるようになるのである。


 読みたい漫画でも探していたのかもしれないが、それなら自分で雑誌を買うなり、漫画喫茶で漁るなりすればいい。他人の基準で面白い物語などに出会えるわけがない。ましてや風鈴製作者のように様々な漫画を読み続けている人間と、たまにしか読まない人間の感性が合致することなどありえないだろう。たとえ趣味というものに理解がなくとも、まともな頭脳があれば、そのくらい想像がつきそうなものだが…。