風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その322+365+347)

『宗教も政治的影響下においては利権の一部に過ぎない』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 これは…、なんという地獄先生!(挨拶@鬼太郎)


 晴れたが、気温は低く風がとても冷たい。全然関係ないが、近所のサンクスで一番くじドラゴンボールZ)が飲茶セット(と他メモスタンドなど7個ほど)だけ残っていて、ここ数日そこで停滞している。飲茶セットが欲しい人は皆、牽制しあっているのかもしれない。
 セルビア自治区であるコソボが独立宣言をした。これが安定化すれば旧ユーゴスラビア地域の紛争は一段落するはずだが、そうもいかないのが現実だ。さっそく独立宣言を受けて国家承認するかどうかで先進国は割れているし、そもそもコソボはこれといった産業もなく海外への出稼ぎ労働者の送金に頼っているという状態だ。財政的に国としての体を保てるのかどうかすら危ういらしい。そして、もちろんセルビアは独立をけして認めないし、今後も断固たる態度に出るだろう。コソボ内部でも人口の10%ほどを占めるセルビア人系住民が更なる独立運動を起こすかもしれないし、問題は山積みだ。
 かつて20世紀初頭に隣国のアルバニアが独立宣言する際に、その領土にコソボ地方も含まれていた。すでに現在のようにアルバニア系住民が多かったからだ。しかしそれは欧州各国の圧力で承認されず、コソボセルビアに属することになった。そもそもコソボ地方はセルビア人にとって、14世紀末にオスマン帝国と激戦を繰り広げた聖地だ。その敗戦後、セルビア人はオスマン帝国によりコソボから追放され、代わりにアルバニア人が入植してきたという経緯があり、そのことが現在に至るまでの紛争の種及び複雑さ原因となっている。


 アルバニア人勢力によるコソボ独立は、どちらに正当性があるかは明言できない。コソボの独立を承認する国々(ロシア以外の先進諸国。日本も承認する模様)は民族主義を重んじる立場のようだが、それならばセルビア人の民族的意識は尊重されないのだろうか。結局、エルサレム同様、各国の利権によって左右されているだけに過ぎない。