風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その323+365+347)

『聞くは一時の恥? 聞くこと自体が恥の場合の方が多いでしょう』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 人に勧められた『狼と香辛料』。…………もふもふしてぇ。(挨拶)


 晴れて気温も上昇。窓際でぬくぬくするは猫だけの特権にあらず。負けずにぬくぬく。…寝すぎて頭が痛くなった。
 一昨日の東芝HD-DVD事業から撤退という報道を受けて、思った以上に世間の人々の反応があったらしい。量販店などでは様々な問い合わせが入っているようで、今後使えなくなるのか、というイミフな質問まであるとか。
 規格争いといえばかつてのVHSベータ戦争が連想されるが、当時、ベータの敗退が決まったときにはここまで過剰な反応はしなかった。ユーザーは粛々とそれを受け止め、VHSに移るか、ベータのテープを買い溜めするかしていたものだ。当時はまだ録画機器自体が一般的ではなかったため、規格争いによって不利益を被る人が少なく、またそういう人はディープユーザーに多かったことが、ある意味で幸いしたのだろう。
 こう言っては何だが、こういう事態になった後にいち早く反応を見せるのは知識や情報に乏しいライトユーザーだ。彼らの一部は、どうせDVDの規格のようにHD-DVDとBDの両方使える機器が一般的になるに違いない、と楽観視していたのだろうし、そこまで考えていない人も、“お客様”である自分たちに不利益な結果になることはないだろう、とタカを括っていたのだろうが(規格争い自体知らない人は論外)、HD-DVD陣営とBD陣営の交渉の流れや、SONYの企業体質、コンテンツの発売状況を見ていれば、そうはならないことくらい容易に想像できたはずである。


 顧客そっちのけで世界中を巻き込んで長期間に渡って規格争いをしていたのもどうかと思うが、資本主義社会で営利目的でやっている企業体に対して無条件に絶対の信用を置くのはあまりに不用意だ。品質の責任は企業にあるが、購入の責任は購買者にある。今さらになってクレームをつけている人はそのことがわかっていないのだろう。