風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その320+365+347)

『表層的な数値に囚われて、その背景が見えない愚』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 昔の自分の絵は見たくないっつたじゃねーかよォーッ!!(挨拶@漫画家共通の叫びらしい)


 朝の冷え込みは少しだけ緩み、日中も昨日と同じくらいに暖か。陽も長くなってきたし、星の位置も変わってきた。冬も終わりの兆しを見せ始めている。
 昨日、近所のドラッグストアが店内改装につき20%OFFセールをやっていたので、てっきりしばらく休みなのかと思っていたら、母親の情報によるともう明日には新装開店だとか。棚などの配置を大きく変えていたらしいので、そのために商品を一旦整理した――――と思わせておいて、おそらくそうではないだろう。
 あくまで推測に過ぎないが、改装を理由にセールを行うことで、売り上げ実績の水増しを行ったのではないか、というのが風鈴製作者の見解だ。経営学的に言って、店舗の営業実績というものは利益率で示すのが当然なのだが、何故だか世の中には売り上げでそれを示す会社は多い。
 売り上げとはあくまで商品を売って得られた金額のことであって、いくら儲かったか、ということを示す値ではない。950の商品を売って1000の売り上げを出した店と、450の商品を売って500の売り上げを出した店では、単純な純利益は同じだが、利益率の観点から後者の店の方が優秀な店だと言える。店舗の規模なども考慮に入れなくてはならないので一概には言えないが、売り上げのような表面上の数値だけで営業成績を判断するのは過ちである。


 他に例を挙げると、新聞などの販売部数もその類である。販売部数で営業所の成績が評価されるため、様々な割引を行って、販売部数は伸びているものの、利益はさほど上がっていない、などというのはよくある話である。