風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その318+365+347)

『未来へ向かうベクトルと過去へ向かうベクトル。両者が釣り合うと腐るのが組織というものだ』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 またつまらぬものを斬ってしまった…。(挨拶)


 昨夜からの強風が続き、朝はとても寒く、あまり気温が上がらない。天気は悪くはなかったが、とても冷え込んだ一日だった。
 未来へ向かう、などと表現すると景気が好調だとか新しいものがどんどんできるとか、そういうイメージを持つ人が多いようだが、それは紛れもなく幻想であって、しかもどちらかというと過去へ向かうベクトルである。何かを大量に製造して建設して流通させて、とにかく社会を肥大化させるという行為は、随分と昔にピークを過ぎているからである。
 バブル崩壊以降、この国は様々な改革を行っている。税制改革によって地方交付税交付金にも手がつけられたし、医療改革によって医者は好きな場所に勤務できる機会が与えられた。その結果として地方自治体が財政難に喘いで、最近よく報道番組が社会問題として取り上げているが、風鈴製作者が思うに、官僚はそうなると分かっててわざやっているのである。
 だがそれで、官僚許すまじ、と考えるのは浅慮である。彼らはあくまでも国の未来のためにやっているだけだ。将来的にこの国の人口は徐々に減り、地方の人口密度は飛躍的に下がるだろう。そうなった場合、そういった場所に住んでいる少数の人々のためにインフラを維持したりする費用は対効果が非常に低くなる。そういう無駄な費用を出さないために今から整理にかかっているのだろう。こういうやり方こそが“未来へ向かうベクトル”だ。これは好き嫌いの問題ではないし、弱い者イジメでもない。


 その真逆を行き続けるのが、人気取りばかりが脳内の大勢を占める一部の政治家である。今でも無駄な(充分な効果を上げない)ものを作るように推進しようとしている政治家は多い。こういう今までやってきたやり方を踏襲することしかできないのが“過去へ向かうベクトル”である。