風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その315+365+347)

『社会が多様化するほどに、常識もまた多様化する』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 凶れぇぇぇぇっっっっ!!!!(挨拶@早く観に行きたいなぁ)


 昨夜の雪は早々に止み、朝にはすでに溶け始めていた。日中はとても暖かく、穏やかな一日だった。
 東京、と地名を示されたとき、一般にどこのことを指しているとされるのだろう。もちろん“東京都”としてならば南関東の一部と島しょ部を合わせて“東京”と呼ぶのだが、ほとんどの場合、島しょ部のことは意識していないのが一般的だろう。多分、東京以外の道府県に住んでいる人はそうだと思う。
 しかし東京都内に住んでいる人の中には、23区とその他の市町村を分けて考えている人もいる。簡単に言うと、23区以外を“西東京”という括りで考えているのである。多分、“東京23区”であって、他の政令指定都市のように東京市○○区ではないことが特別な印象を与えているのだろう。ごく稀にだが23区以外を東京“県”などと揶揄する人間もいるくらいだ(ここまで来ると単なる誹謗中傷だが)。
 ともあれ、こういう人によって捉え方が大きく異なるものは数多い。例えば早朝・朝・昼・夕方・夜・深夜の区分もそうだし、大人と子供の区別も曖昧だ。正当防衛とは急迫不正の侵害に対して自己または他人の権利を防衛するためにやむを得ずした行為を行った際に適用されるが、どの程度差し迫っている状態のことを指すのか、侵害に対して許される防衛の度合いはどの程度なのか、(ある程度は判例などで定まっているとはいえ)人によって判断が別れるところだろう。


 こういった各人にとっての常識は、社会が多様化し、生活スタイルなども細分化することにより大きく異なってくる。この国は曖昧さこそが文化だという風潮があるが、明確に決められることは定めておく方が良いだろう。