風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その309+365+347)

『付加価値の多くは一般的ではない』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 私はその昔、味噌ラーメンだった。(挨拶)


 うって変わって快晴。気温も上がり、昨日の雪はほとんど溶けた。
 『一番くじ ドラゴンボールZ 限界突破編』が発売になっている。『超神水』や『電子ジャー』とか『メモスタンド』の一部は無印DBのアイテムでは?、とかいうツッコミどころはあるが、ファン心理をついた良い商品だと思う。
 こういう商品はやはり元ネタがあってこそのアイテムだ。ファン心理あっての\500という価格であり、純粋に造形の技術やかかった費用に対応した価格ではけしてない。だが、別にそういった商法が悪いとは思っていない。
 長い間、この国ではそういう商法が快く思われていなかったように思う。戦後の困窮からの急成長が背景にあるのか、商品とは役に立つかどうかというハード面でのみ評価され、ソフト面、特に人間のメンタル面を軽んじてきた。だから芸術を解する人は少ないし、家電製品なども最近までデザインというものを重視していなかったのだ。
 しかしそれもここ10年で大きく変わったように感じる。多分、バブルが弾けて社会が興奮状態から冷めて、豊かさというものをちゃんと考えたことがその要因のひとつだろう。そうして個人がそれぞれの好きなことを選択したことによって色々なものが細分化した結果、世間が無価値とするようなものにも付加価値が生まれた。そういう正しい意味でのファンが誕生したからこそ、現在、前記したような商法が受け入れられているのだ。


 もちろん過剰な付加価値を上乗せした商法がまかり通っているのも事実だ。しかしそんなことをすればすぐに見捨てられることは間違いない。本当のファンとはそういう見切りができるものだからだ。