風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その295+365+347)

『己の中にある常識しか認めないことは、他者の人格を認めないことに等しい』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 シット! HDDレコーダが予約録画中にフリーズしてやがるッ!(挨拶)


 曇り時々晴れ。日中はさほどでもなかったが、夜は急速に寒く。ドンと来い、雪。
 人は誰しも己の信じる常識の中で生きている。陳腐で使い古された言い回しだが、紛れもない事実である。しかし、それは他人の信じるモノを認めないということではなく、自分がどういった価値観を優先するかという順位付けに過ぎない。たとえ隣人が自分のものとは著しく違う考えを持っていようと、それを否定し、排斥することはとても野蛮だ。こちらに何らかの被害が及ばない限り、無視すれば良いのだが、それができない人はまだまだ存在する(減少傾向にはあるが)。おそらく他者を救ってやろうという類の使命感に駆られているのだと想像できる。余計なお世話だが。


 例えば子供が自分とはまったく違うモノの見方をしていると、それを矯正(第三者から見ると強制)したがる親は多い。そうすることが親としての使命だと思っているようだ。だが、もちろん親の仕事とはそういうことではない。