風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その293+365+347)

『作ったものに責任を持つ。企業倫理の基本でしょう?』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 無垢と経験の詩よ、赤々と燃えよ!(挨拶)


 やや雲は出ていたが、基本的に晴れ。今日もとても寒かった。この気候はあと数日ほど続くようだ。素晴らしい。
 以前にも少し触れたが、メディアというものは実に頻繁に移り変わっていく。しかも必ずしも良いものが残るわけではない。まだ人生の1/3くらい(平均寿命に換算)しか生きていない風鈴製作者の人生でも、録音メディアだけで5種類ほど使用した。カセットテープ、MD、CD-R(CD-RW)、HDD、SD(フラッシュメモリ)である。単に音楽メディアで語るなら、これにレコードが加わり、またCDと共にそれぞれ異なるサイズのものがある。EP盤とLP盤、8?CDと12?CDである。今の子供たちは8?CDの存在も知らないだろう(本当は今でもシングルCDは容量的に8?で充分なのだが)。
 映像ならば、ベータやLD(この間、二十歳の人に、LDってなんですか?、って言われた…)、VHS、DVD、そして(一応)次世代規格がHD-DVDとBDといったところか。
 別にいくら変遷しようと構わないのだが、しかし新しいメディアを開発して普及させるたびに、それまで主流だったメディアを排除し、実質的にサポートしなくなる(デバイスを販売しなくなる、修理に応じない、等)のはどうかと思う。そういったものをコレクションしている人にとっては切実な問題だろう。


 確かに、単なる金儲けとしては古いものを早々に廃止し、新しいものを大量に売り捌くのは正しいのだと思う。その方が簡単に儲かるし、コストがかからない。しかしそれでブランドとして信用が得られることはないだろう。