風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その291+365+347)

『情報社会と表現するから誤解する。データ社会の方がイメージしやすいのでは?』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 勇気100倍! でも元々の勇気ゼロ、みたいな。(挨拶)


 今日も朝は寒いが、気温は少し上昇。太陽が顔を出し、風もなかったのでそれなりに暖かく感じる一日だった。
 情報社会、と聞くと、一般には様々な情報が目まぐるしく行き交う社会という認識ではなかろうか。まあ、それでも間違いだとは言えないが、正しくは通信技術が発達・普及し、情報そのものが流通商材と成り得る社会のことであろう。
 “情報”というと、どうしても“遠くの場所で起こった出来事の報告”という印象を持ってしまう人はとても多く、当然といえば当然だが、やはり年配の方ほどそういう傾向にある。しかし実際には、広義において“情報”とは“データ”のことだ。そこを間違ってはいけない。(補足するが、この場合の“データ”とは“単なる数値”のことではない。事象そのものを構成する根源要素である。例/人間で言えばDNA)


 外国語における概念を無理に自国語に訳すと、齟齬が生じることがある。元々、自国語に存在しない概念ならば尚更だ。それを解消するには当該の外国語を理解するしかないが、それも単語や文法から入る学習法では学び得ないことかもしれない。言語の理解とは、そういう感覚的なものであろう。