風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その290+365+347)

『どんなに酷い事実であろうと、受け入れられない事実など無い』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 最新の野球盤は球が浮く。魔球過ぎ。(挨拶)


 昨日までと比べれば少し気温は上昇したものの、依然として平年を下回る寒さ。晴れてはいるが、厚手の上着は手放せない。
 誰かにとって、あまりに過酷な事実を知りながら、それを告げることをタブーとする場面がある。例えば、実は親が赤の他人だった、周囲からは望まれない子だった、自分が原因で誰かが不幸になっている、などである。これらが本人に告げられない場合、大抵は本人の感情に配慮して口外されなくなっている。しかしどんな事情があろうと、知っていると知らないのでは、後者の方が後々、損害を被る可能性が残る。


 もちろん言う必要のないこともあるが、上記したようなことは告げておくべきだと考える。人間のキャパシティーは大きい。おかしな洗脳を施されていない限り、この世界で起こりうるほとんどのことは許容する。