風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その286+365+347)

『不思議を不思議のままにしておける不思議』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 思い出をサッパリ忘れてるという点で祐一と同類なんだけど、朋也はすぐに未来に向けた行動に出るあたり、イイ男。(挨拶)


 昼間は晴れていたが、夕方前から雲が広がった。雨は降りそうで降らないが、湿度は高いようで、夜になってもあまり寒くない。
 一見、理解できない物事を、不思議だ、と思うことは自然だが、本当に不思議なのは、不思議だと思った現象を原因究明することなく放置し、不思議のままにしておける人間の精神性であろう。
 あらゆる現象には原因があり、結果がある。現代において、その原因がまったくの不明で、検証するための推測すら立たないということはほぼ無いと言ってよいだろう。その程度には科学は進んでいるし、この国に生きている人間ならば、それを活用できる最低限の教育は受けている。
 しかしそれでも不思議な現象に直面した際に、その原因を求めず、思考を放棄し、あまつさえ根拠の無いオカルトじみた解釈を平気でする人間もいる。最早、そういった条件下において、予め思考をフリーズさせるようなシステムが、大多数の人間に組み込まれているのではないかとすら思わせる。本当に不思議だ。


 おそらく何も考えなくとも生きていけるという環境がそうさせているのだと思う。風鈴製作者の偏見に満ちた推論だが、科学というものの存在を正しく認識していて、かつ、貧しい生活環境下にある者はそうではないと思う(どちらが正しいとか、そういう話をしているのではない)。