風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その280+365+347)

『三大欲求と衣食住の相違は現代の人間の在り様を示している』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 さあー、みんなで考えよー!(挨拶)


 今年に入ってから妙に朝が寒いような感じだったが、今日は少し緩んだか。天気は晴れ。しかしながらあまり最高気温は高くなかったようだ。
 睡眠欲・食欲・性欲は俗に三大欲と言われ、人間の最も根源的な部分を占める欲求であるとされる。一方、日常生活において必需とされるものは衣・食・住であるとされているが、この両者にはそれぞれに対応しないものがひとつある。睡眠欲=住(安眠を可能とする場所という解釈から)、食欲=食、であるとすると、残りの性欲と衣が対応しないのだ。
 本能とも言える三大欲と、生存を目的とする衣・食・住を同じステージで捉えることに無理がないとは思わないが、しかし元々、本能とは生存のために存在するものだ。では何故このような相違があるのだろうか。
 一般に三大欲には優劣があり、睡眠欲・食欲・性欲の順に優先度が高いとされる。これはまず個体として生きることが優先されており、食欲が満たされない限り、性欲が発生することはないということだ。犯罪学の観点から言うと、物質的に満たされた人間こそが、レイプや快楽殺人を行うのである。
 ここで思うに、近現代の人間にとって“物質的に満たされる”というのは、必ずしも食物のことのみを指すのではなく、単純に“物欲を満たす”ということを言うのではあるまいか。現在、先進国では本当に真実の意味で必要最低限の生活をしている人は少ない。皆、何かしら生きる上で、余分なモノを所有している。しかしそれが当たり前の光景となれば、やはりそれも必要なものとなり、無くてはならないモノに昇華される。それこそが“衣”の正体であろう。


 もちろん“衣”とは単に暖を取るために纏う服のことであるが、それがあって当然のものであれば、それは必需品となる。だからこそ衣・食・住のひとつに数えられているのだろうが、それは他の装飾品・嗜好品とて同じことだ。あって当然のものならば、必需品となる。かくして“衣”は性欲を越えて、列挙されるのだろう。(あくまで戯言なのであまり本気にしないように)