風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その278+365+347)

『美しいアイディアとは忘れないものだ。忘却される程度のものに価値はない』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 1バレル100ドルを一時的に突破したそうで。(挨拶@石油の先物価格)


 今日も晴れ。朝はとても寒く、布団から出るのはともかく、服を着替えるのがとても億劫。
 この日記で書いていることはその日に考えたこと、思いついたことを書き連ねているのが9割。実体験をそのまま書いているのが1割ほどである。一般に日記とは後者のようなものを指すのだろうが、しかしそんなものを書き残したところでさしたる意味を持つとは思えないので、どうしても前者のような形になる。その方が自分の本質を捉えているからだ。無論、そんな気がするだけだが。
 ただ、“考えたこと”と表現したが、実際、それほど深く考えているわけではなく、どちらかというとアイディアやインスピレーションに近い。おまけにそれをメモすることなどまったくしないので、結構な頻度で忘れてしまっている。もっとも一日にいくつも思いつくことがあるので、日記に書くこと自体は問題ないし、そもそも簡単に忘れてしまうようなことを無理に書き留める必要はないだろう。本当に優れた着想とは到底忘れ得るものではなく、ある種の衝撃すら本人に与えるものだ。


 仮にであるが、何らかの作品を作る上で、アイディアを全て注ぎ込もうとするのはプロの仕事ではないと思う。そんなものは才能の(良い部分も悪い部分も混在した)垂れ流しだ。洗練し、削ぎ落としてこそのプロではあるまいか。それを見て、受け手は代価を払う価値を感じるのだ。