風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その277+365+347)

『馬鹿の一つ覚えを様式美と捉える優しさ』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 往路とか復路とか。(挨拶)


 今日もいい天気。しかし風鈴製作者は一昨日までの疲労が抜けない、というよりは、テンションが下がって疲労を自覚してきた。重い荷物を持っていたわりに肩こりは無いのだが、足首と膝周辺の反応が鈍い。やはり人を避けるために無理のあるステップを踏んでいるからだろうか。
 去年は福袋について書いた。今年は年末から正月にかけての特番について。
 自発的に観ることはないので全ての番組をチェックしているわけではないが、映されている番組を横目で見たり、番組表を見る限りでは、その内容は昔からほとんど変わった様子はない。生放送で芸能人がどうでもいい会話をダラダラとしているのを垂れ流していたり、お笑い芸人はどこかで見たようなネタを披露しているだけだ。あとは毎年変わらず放送している歌合戦やスポーツ大会、時代劇の羅列である。
 正直、まったく面白くもなんとも無い。子供の頃、休暇中の大人のために普段とは違う番組をやっているのだな、という判断から、大人になれば少しは楽しめるものなのかとも(かすかな希望を込めて)思っていたが、やはりそんなことはなく相変わらずつまらない。惰性ではなく、積極的に視聴している人はどのくらいいるのだろう。5%もいないのでは?


 娯楽の少なかった時代ならいざ知らず、現代において退屈しのぎにテレビを観る人も減ってきている。テレビ局としては一過性であろうとも視聴者を取り込みたいという意図なのだろうが、むしろ逆効果ではあるまいか。普段どおりの番組編成で臨んだ方が、まだマシだろう。