風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その272+365+347)

『悪意のない暴虐とは社会悪に他ならない』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 現在待機中…。(挨拶)


 朝からずーっと曇り。予報では夕方から雨とのことだったが、いまだ降らない(現時刻20:27)。しかしこれから明日の正午辺りまでにかけて総雨量100mm超の豪雨の予想。――――だがしかし、そんなの関係ねぇ!
何に価値を感じるかということは、有り体に言ってその人間の内面のバロメータを示している。個人の価値観というものが公に主張され始めて随分経つが、その意味を理解し、受け入れることが出来る人はまだまだ少ない。
価値観を主張する側では、それによって何でも好き勝手に出来ると思っている人が少なからずいるし、価値観を受け入れる側も、それを許してしまう(放置してしまう)傾向が強い。そうすることが自らの価値観(スタンス)であるとして、罪悪感を感じないからだ。


 まるで個人の価値観というものが免罪符のように扱われているのがこの国の現状だ。あと数十年もすれば改善するだろうが、それまでは悪意のない暴虐が続くだろう。