風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その271+365+347)

『モラルと思いやりと想像力の無さが免許制を必要とする』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 そういえば『ガッシュ!!』続編は無しのようだね。…よかった。(挨拶)


 ずっと薄曇りだったが、そこそこ暖かくなった。…ところで29日が雨ってマジっスか?
 今年の2/7に自転車の免許制について書いたが、来年6月までに施行される改正道路交通法に合わせて、警察庁は「交通の方法に関する教則」も改正する方針らしい。記事はココで(30年も見直されたことがなかったの?)。
 正直、相変わらずお為ごかしの、何の解決にもならないことをするのが大好きな人たちだなぁ、というのが第一印象。傘の固定は危険、と記事内にあるが、そもそも原則として車道を走ることになっている自転車は、傘を差すこと自体が危険極まりないのは自明のことだと思うのだが。
 おそらく傘を固定していると急な状況変化に対応できない、という理屈なのだろうけど、風鈴製作者が見る限り、それ以前の問題として、運転が下手すぎる、あるいは運転者のマナーが悪すぎるというのが最大のネックになっていると思う。傘を持っているとか持っていないとか、子供を何人乗せているとか、そういう問題ではない。
 歩道での事故が増えていると聞くが、段差が多く、スピードを出すにも限界がある歩道ですら事故を起こす人が、どうして車道で事故を起こさないと言えるのだろう。日本の狭く路上駐車の多い車道で、車の方が歩行者よりも機敏に回避動作できるのとでも思っているのだろうか。まったく理解できない。


 やはり重要なのは自転車運転者の技術とモラルの向上だ。技術というのは運転技術だけではなく、歩行者がどのように動くかを予測する想像力であり、それを働かせる思いやりでもある。それを確実に運転者に身に付かせるには、やはり免許制を導入するしかないだろう。