風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その268+365+347)

『“清潔”とはどういうことか、知らない人間は多い』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 エレエレエレ…。(挨拶)


 快晴だったが、日中は強い北風が吹き、体感的にはとても寒かった模様。昨日と一昨日の雨の影響か、歩道は街路樹の落葉で埋まってしまっている場所も。だが、これでほとんど落ちきったようだ。
 とある店先で、小さな女の子が嘔吐しているのを見かけた。付き添いの大人たち(おそらく母親と祖父母)がその店からお手拭などを提供してもらい吐瀉物を片付けていたのだが、しかし、その全てを素手で行っていた辺りに、この国の衛生観を見たような気がした(何が問題なのか分からない人はWikipediaで『ノロウィルス』の項を調べるべし)。
 別に騒ぎ立てる気はないが、そういった気配りが伝染病を防ぐことになるのは事実だ。だが、この国に住む人間の一体何割がそういった知識と実行力を持っているだろうか。麻疹の流行が問題化しているが、欧米では麻疹ウィルスはすでに根絶されている。だから日本は伝染病大国などと揶揄されているのだが、個人的には言われて当然だし、やはりそういう文明レベルにおいて、後進国なのだな、とも思う。


 確かにこの国はどこに行っても清潔そのものだ。街頭にゴミは少ないし、人間自身も清潔にすることを心がけている(と言うより不潔さを忌避する感情が非常に強い)。しかしそのせいか、目に見える部分ばかり気にしてしまい、ミクロな部分にまったく意識が向いていない。…やはり理科離れのせいか?(ちょっと違うかもしれない)