風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その267+365+347)

『時間の使い方の上手さとは、結局、立ち止まらないことに他ならない』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 …すでに2回、会期を延長している国会で審議する時間あるんだ?(挨拶@薬害肝炎救済に関する立法措置)


 引き続き雨が降っていたが、昼前には止み、日中は昨日より少し暖かくなった。また銀杏の葉が大量に落ち、雨に濡れているため独特の臭気が立ち込めていた。
 議員立法で年内に成立を目指すらしい。…………年内?
 時間が無い、時間が無い、と頻繁に口にする人がよくいるが、そういう人の95%は時間の使い方が下手なだけで、傍から見れば何もしていない時間が非常に多い(指摘すると大抵は、休憩だ、と言い訳する)。
 当たり前の話だが、時間を上手く使うには無駄な時間をいかに省くかにかかっている。特定の作業効率を最大まで引き上げることを前提とすると、無駄な時間とは即ち異なる作業の合間にある空白の時間のことである。見ている限り、ほとんどの人はあるひとつの作業を終えると一旦手を休めてしまい、なかなか次の作業に移ろうとしない。これは、作業中にその作業のことばかりに集中してしまい、次に何をするのかといったことをまったく想定していないからだ。このため、次の作業に移るためのモチベーションの切り替えが円滑に行われず、その切り替えだけのために時間を浪費しているのである。


 ある意味で、複数のことを同時にすることこそが時間を上手く使う方法だと言える。一般にひとつひとつのことを終えてから次のことをやれと教えられるようだが、それはあくまでも作業に慣れない内の話だ。人間の能力はそれほど低くはない。全身全霊を費やさなければならない作業など、そうそうないものだ。