風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その266+365+347)

『気の巡りが良くない? 取り憑かれている? お札を買えば大丈夫? ――――理科離れし過ぎじゃないですか?』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 実は最近、スーパー宗教大戦の一角が近所にですね…。(挨拶@昨日に続き実話。アーレフ(元・Ω)じゃないよ)


 今日は久方ぶりに雨。朝から降ったり止んだり。いつもとは違った質の寒さもたまには悪くない。
 昔から霊感商法と称される悪徳商法は多いが、数々の情報が飛び交い、詐欺の手口も一瞬にして知れ渡るこの時代に、まだその存在は厳然としているものらしい。警視庁所属の警視が出資していたサロンで、気の巡りが悪いなどと吹き込み、祈祷を行う組織を紹介していたとか。その名も『神世界』(笑)!(※宗教団体ではないらしい)
 別に個人がどんな宗教観や死生観を持っていようと自由だが、しかしそれを狙って金銭を巻き上げようとする人間の存在まで忘れているのは愚鈍に過ぎると思うのだが、一般的にはどうなのだろう? 確かに学校である程度の科学知識を学んでいるとはいえ、親などの近しい人間に幼い頃から言い聞かせられれば霊などの存在を当然のものとして認めるようになるのかもしれない。しかし人間が最も影響を受けるのは同じ生きた人間からだ。その人間がいったいどういうことを考え、他者に対して何を求めてくるのか、想像もできないことはあるまい(その前提自体がもう違っているのかもしれないが)。


 個人的には科学的でない(証明できない)というだけで、疑うには充分な理由だと考える。というか、他人が口先で言っているだけのことを鵜呑みにするなど、馬鹿以外の何者でもないだろう。たとえそれが自身の観念と近しいものだったとしても、である。